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2024/11/27 06:39 |
異文化理解
かつてTwitterでつらつら書いていたものです
雑文および修飾のおかしい箇所はご愛嬌

イギリスはこうだよ、っていっても結構日本の人って「イギリスの人がいってる整合性のあるイギリス情報よー!きゃー萌えましょうみんな!」って感じで、自分の自然な生活がひっぺがされて消費されて、それが対等に扱われない感じがよくあってとても苦手なので、あまりこちらの話はできません
自分の国の文化に興味を持たれる、という事を好きな人が過半数じゃないかな、と思っている それを「私も国や文化を持っている、相手のその部分の違いが気になる」というのと「異文化?なんか萌えられるとこあるかな」と思いながら話を聞く これには根本的な違いがあると思うけどどうでしょう?

すこし独り言をさせて頂くので長くなりますし、これは自分語りの域で、私はイギリス人の代表として話すなんて事をするつもりはありませんし、これはイギリスで長年生活して、その立場から日本の方々と交流している上で個人的に感じる事を言う自分語りに過ぎませんので、皆がこうではない事を明言します
あくまで私「ヲリー」の個人的な見方の一人語りになりますが突っ込みや質問は大歓迎です、私も私の見方しかわからない人間の一人にすぎませんし、そういう外からのインプットは助かります むしろ助かります ありがとうございます

私は小学校卒業まで日本で生まれ育ちましたが、人間「人との関わり方」や「自分の立ち位置」なんて社会的な事を自覚して考えて行動しはじめ、学習をしはじめるのはせいぜい中学に入ってからではないかな?と思います それは私がそうだったからですが、ここは話にそこまで重要じゃないので省きます
私が自覚的に人と関わるようになりはじめ、人との関わり方を学び始めた時私は偶然イギリスに引っ越していて、日本人の一人もいない寮にいました。その経緯から、私の人との関わり方や社会への関わり方はとてもイギリス的だと思ってるし、その事実はここ最近(2年程)インターネットを介して日本人の方々と(字でツイッターなどというSNS媒体を通してのみですが)交流していく中で、初めて自覚的になりはじめた事でもあるし、私の中身が全く日本人ではなくイギリス人である、と知る事は相当なショックでもありました。
人間は、自分の文化や常識というものがどういうものであるか、その中にどっぷりと浸かってる間はわからないものだと思います 人間の肌の神経は、自分の体温と全く同じものを触ると冷たいとも暖かいとも感じない、という話を聞きかじりましたが、それと似てると思います

話は少し逸れますが、去年の今頃、イギリス発のエンターテイメントショーが日本で催されるという事で、私が雑用兼通訳というなんだかよくわからないポジションのバイトを受けて、イギリスからのチームメンバーに金魚の糞して日本全国を1週間毎に回る、という経験をさせて頂きました。
円滑に作業を進めたり、円滑にコミュニケートするには「行間を読む」というのが必要不可欠ですが、もう文化が違うから相手の、たとえば、「ちょっと言いにくいよね」と濁す言葉の真意さえもこちらが取り違えてる可能性の方が大きい
私のイギリス人の上司がふと何かを言えば日本人のスタッフは「そんな言い方しなくても・・・」「みんな傷ついちゃうよ」「それは立場的に言えないよ ってヲリーちゃんうまく今俺の言った事言わないでいい感じに説得して」などなどの言葉がでてくるでてくる
イギリス人的にはその「言いにくい」の真意を読もうとすると、「立場的に責任を負わされても責任を取れないから言えない、お前が俺の代わりに言えや」だと思うので、「じゃあこっちが言えばいいね?」と返す事になるとします しかし、これが日本人の方からすると実は「そういう事を言うと空気が悪くなるしそうすると俺の立場も無いから、そういう一切の事は言わないでくれ」だったりするんですよね、だから「じゃあこっちが言う」といってもうスタスタ歩き去るなんて事すれば日本人の方は「なんで!!???」ってなりますよね。
これだけならギリギリ「弱っちゃうぜ」なんて笑い話にできるのですが、交渉の場でも連絡の場でもオフの場でも 全てに関してこれだと、重ねればどうしてもお互いの信頼関係にヒビが入っちゃうんですよね。そしてそれが不満・苦情・喧嘩になって出る
(あと、腹いせかのようにきちんと作業をしてくれなくなる、などの嫌がらせが一番多かった)
空気を読む、察する、行間を読む これらのスキルは日本文化を表現する上でよく使われるものですが、それはイギリスでも実は全く同じ事を重視している しかしどんなに両者が気遣ってもやり方が違えばもう通じないしこっちも相手の気遣いに気づかない
気遣い、というのは相手とやり方があって初めて価値をなすものです 「私は気づかいをしたから無罪放免」という事はありません 通じなければ無いも同じなのです
でも日本の方の「本音と建前」の使い分け方にはとても困ってました…「俺に任せとけよ、全部やるよ、大丈夫」と言いながら、本当に全部任せると「そこまでとは言ってない、考えればわかるだろう、善意を使い倒す気か」と憤慨される ってことしょっちゅうでした それを受けてイギリス人側もびっくりして「全部やるっていったじゃねーか!?嘘かよ!そっちは『~~』って確かに言った、言質とった、だからそれを信じた俺に責任はないはずだ!」と返せば「責任だ言質だなんだこのやろう、こっちは情と善意でやったのにつめてえ野郎だ!」「冷たいですって!?失礼極まる!公私分けろ!」「ああ!?」

すれ違いは明白なのですができるだけ私なりに解説を試みます。
①日本人「俺に任せとけよ、全部やるよ、大丈夫」
【日本人サイド】あったかめの事言って相手を安心させてやらないとなー、俺も俺の仕事をきちんとやるよって事をアピールしとこう それに、ちょっとくらいなら余分な仕事もしてあげてもいいかな。助け合いだよな。
①日本人「俺に任せとけよ、全部やるよ、大丈夫」
【イギリス人サイド】おや?自分の範囲の仕事をするのは当然だからわざわざこれを言うってことは自分の範囲外の事までするよって意味?じゃないと言った意味ないよな?本当に大丈夫かわからないけど大人がこう言い切るから敬意を表して黙って任せねば
⇒【結果】
日本人のスタッフが、最初から自分の範囲と決められてたところはきちんと済ませているが、イギリス人の方が「やる」と思っていた範囲はちょっとしかやっておらず、ほとんど済んでいない。しかしイギリス人も不安ながらも黙ってずっと様子を見つつ任せてたので、その挙句済んでなくてキレる
これを見て、「不安なら聞けばいいじゃねえか!言えばいいじゃねえか!」と思う方もいらっしゃると思いますが、具体的にそれがどういう形になるかというと
イギリス人「(仕事が進んでないようにみえるけど本当に一人で)大丈夫?」日本人「(ん?なんかわからんけど気遣いなら)大丈夫やで!」です。
イギリス人は基本的にその「仕事すすんでなくね?」の部分がいえません。なぜなら、『心配している』と相手に言うことは、「自己管理ができていないのでは」「仕事をやるっていったのにやれてないのでは」と指摘して、「社会的能力のない子供のような人物である」と相手言う事に同義だと思うからです。
なので一旦相手が一言でも「やる」と言ったことは、「やり方の部分は貴方の中の話だから、貴方が『やる』といった言葉を信頼して任せる。敬意を表する為に俺は何もいわず、ただ黙って待っていよう」になる 何かあったとしても、相手が言動に行動で始末つけて責任を取ることを期待して……。
しかしもう最初の話の部分で行き違いがある 意味するところが違ったんですよね。日本人の方は「全部任せろ」と発言するのは、「ちゃんと『最初から言われた部分の仕事を』きちんと全部するからそこは任せといて」という、「気遣い」のつもりで言っただけなんですよね。そこに「ついでに余計な仕事やったげてもまあいっかな♪」というサービス精神のようなものが別個でついてきているだけ。自分の仕事の範囲外もやろうとするのは日本人によくある性質ですが、イギリスでは自分の仕事の範囲外の事をする=必要のない事をしている=追加の給料とかも払えないしあとで問題になったら面倒だからやめてになるわけなんですよ!「余計な仕事をする」というのは困るんですよ!自分の範囲だけの仕事をやっていてほしいんですよ! しかしショーイベントというてんやわんやな現場でしたので、この範囲ってやつがそこまで明確ではなかったし、人手が足りなかったのも事実で……監視することも不可能に近く……

そこでその現状を受けて愕然としつつ「やっぱり無理じゃねーかよ!それ見たことか!」と思うイギリス人側の文句 それが「全部やるっていったじゃねーか!?嘘かよ!そっちは『~~』って確かに言った、言質とった、だからそれを信じた俺に責任はないはずだ!」になります。シーン2開始です。
②イギリス人「全部やるっていったじゃねーか!?嘘かよ!そっちは『~~』って確かに言った、言質とった、だからそれを信じた俺に責任はないはずだ!」
【イギリス人側】全部やる、と大の大人がわかりやすく宣言するもんだから失礼な事聞けなくて黙ってたら、この無責任!後始末どうする予定なの!
②イギリス人「全部やるっていったじゃねーか!?(略)」
【日本人側】俺のやるとこはやったろ!?そりゃちょっとは善意で余計な仕事もやったげてもいいと思ってやったのに、そしたら物の例えの「全部やる」の部分持ってきて言質とか性格悪ッ、人の善意を餌に取るだけ取ろうとして!!何この人!!!

③日本人「責任だ言質だなんだこのやろう、こっちは情と善意でやったのにつめてえ野郎だ!」
【日本人側】上記
【イギリス人側】やるっていったことをやってなくて困るから責任どう取るって話なのになんか相手の情とか善意とかいきなり感情の話はじめてきたよ!?何その言い訳、ガキかよ?逃げんな!
ここをもう少し解説すると、なんで「ガキかよ!逃げんな!」になったかというと、イギリス人側にとって本当に相手が『感情の話を出してきた』というのは突拍子もない行動だったのです。なんでその話でてくんの?と。なので、「関係無い話して言い逃れようとしてやがるにちがいない!」となった訳です…
イギリス人の公私の分け方は、「感情」と「論理」を分ける、みたいな感じがつよい。仕事中に「悲しかった」「つらい」なんて個人的感情を持ち出して同情を訴える(ようにみえる)事をするのは、まだ公私を分けられない子供のする事 という見方
そして「大人として関わるんだからそういう子供っぽい話には付き合いません」という対処の仕方になって、たとえば日本人が「善意なのに情なのに」と感情の話をすると「関係無いから話しません」と全拒否し、ひどければ会話拒否の流れになるんですね、(なんとなくわかるでしょうが、こういう思考回路があるという事がわからない日本の方からしてみると、「こっちは大事な話をしてるのに拒否するなんて失礼極まりない」と傷つき怒る展開になる負の連鎖が起こります)
③イギリス人「冷たいですって!?失礼極まる!公私分けろ!」
【イギリス人側】感情の話とかこちらにはどうでもいいはずの話をされた挙句感情論からの主観でレッテル貼って僕を侮辱するなんて行動も起こした!どこまで失礼!でもそこまで説明する義理はない(相手大人だし)、公私分けてとだけ言おう
③イギリス人「冷たいですって!?失礼極まる!公私分けろ!」
【日本人側】公私わけろだと・・・?こっちは相手が助かるとおもって真心をこめて俺がやらなくてもいいことを相手の為にやったのに、それを「公私分けろ」って全部俺のせいにするたあなんてやつだ、それならもう情もかけない何もしない。
日本だと、「具体的に何を言ったか」より「それを言ったってことはこういうことを考えているんだ、こういう事を思っているんだ」と、言葉自体よりその裏の意味で相手を責めたり叩いたりする事が多いですね イギリスは逆です
むしろ「言葉なんてどうだっていいじゃないか」というような・・・ 「気持ちがこもってたらいいんだ、あとがよければいいんだ」とでもいうんでしょうか?喧嘩して仲直りしても、個別で「あの言葉遣いはよくなかった」と借金を清算するように謝る、という行為をあまりしないような気がします。(日本)
イギリス人は基本的に「内部の事、裏のことはあっちの話だから触れない」を通すと思います。突っ込みたくても、裏の事なんてわかりようがないから自分には突っ込めない、って感じかな…だから「行動」「言動」という具体的な物のみを取り上げると思います。それが日本人には「揚げ足取り」に感じられる
揚げ足取り=突っ込まなくてもいい無意味な部分をわざわざ取り上げて、こっちが具体的な事実には何も言い返せない事をいいことにこちらを責めようとする悪意の所業 ですからきもちがいいわけがないですよね……そうじゃないんですけど。
こちら的には、「感情=主観」だから、感情論っていうのは絶対的に否定できない伝家の宝刀。「つらい」と言ってる人に「お前はつらくない」なんて返すのは成立しないように、感情論は感情論というだけで正義 「だがこう見えた、思った」も主観だからそれだけで正義になる そしてそれは卑怯に見える。
こちらはそちらが突っ込む事ができる「具体的事実」だけを持ち出して対等性を維持しようとしてんのに感情論とか持ち込んじゃうん?あっちから対等に話すことを放棄してるよ……てなる(人によっては「感情論いったなはいルール違反~~俺もやっちゃいけない事やる~でもお前が先にやった~」になる)

文化を隔てればもう「気遣い」や「優しさ」「善悪」の基準まで真反対に違う。
問題はそれが「自分の思ってる基準の中ではそう」と客観視できる人のものすごい少ない事なんだよなあ。自分の基準で今までやってこれたから、それが自分の基準だけでなく「みんなの基準、常識、正義」って思ってしまってる
異文化の人との交流には「私の文化・関わってきた社会ではこういう事になっているが、そちらでは違うのではないか?そのせいで勘違いされているのではないか?私たちも勘違いしているのではないか?」という意識とそれを何度も確認しあう姿勢が必要不可欠だと思う。察せない事は言わなければ誤解のまま
これって、違う国とか違う文化とかマクロな話だけじゃなくて、たとえば「他校ではこう」「隣の県ではこう」「隣のクラスではこう」から「うちらの友達んなかだとこう」とかミクロな中でも『価値観と文化の違い』が出てくるのですがそれが「同じ国に住み、同じ言語をしゃべっているから」 それだけの理由で「価値観も感じ方も文化も一緒に違いない」というとんでもない前提を生んで、分かり合えない人の事を「基地外」だとか「バカ」だとか決めつけ輪から除外する動きが生まれてしまうんだと思うんですね……
「気遣いのできないひどいひと」のレッテルの方が盛んですけど、それもまた『自分の基準から』であって、その基準に従って物をして行動する、その中に相手の拒絶が入る って事はあると思います。しかしそれを「みんなの基準」としてしまうと範囲が広がり、個人の話ではなくなる それがいじめにもなる

「つらい、ひどいと感じた」という主観的感情論が正義とされて持てはやされ掲げられる日本の文化は私には恐ろしいのですが それももうそこにあるものですし、その考え方を持つ人にどうコミュニケートして、どうこちらの意思や目的を共有するか、というのが「文化の理解」と思っているんです。

他人の事なんてわかりません。無理無理。自分じゃありませんし。自分の見てきた世界をそのまま見てきた人はいない。それは自分にしかわからない。他人の見てるものをそのまま見て、そのまま同じように感じる事を「理解」と思ってる人も多いですが、正直なところ、「他人はこういう違う思考回路をもっているらしい。相手と気持ちよくなるべく多く得があり損の少ない関係を作りたいから、最低限ラインの確認を相互的にしあって、ほうっておける箇所を明確にしておこう」 っていうのが「理解」だと思ってるんで うまく言えないのですがね。
私はそのやり方でいいと思う!「なんか違うんだー」っていって、そこからもっと興味もったりしてくれたらそりゃ嬉しいけど、興味ないならないでそのままほっといてくれたら「存在を一応許されてる」って思うというか 拒否されてない、ってわかった時の安心感はものすごいんだよな、私はですけど

「わかんないならほっとけばいいだろ」が本音 一々「興味のない自分」を正当化するために「イギリスとか●●だから嫌い」とか「皮肉とかきらいだし多分イギリス嫌い」とか言われると傷つくからね
「興味持って」っていってるんじゃないんですね。「理解して」っていってるんじゃないんですね。「ほっといてくれ」と言ってるわけです。それが異文化理解。私にとっての異文化理解。お互いほっとく為に、お互いの範囲を明示して「踏み込んではいけない所」を伝え合う、それがコミュニケーション
何かと話をすると「イギリス人かわいそうだよね!あなたは悪くない!」と踏み込んできて頼んでもいないのにそういう余計なお世話いってくるのはべたべたしていやですね 距離が近く優しいって事だけが正義ではないと思う
でも「異文化を理解しないと外人が悲しむ、あの人達は傷ついてるんだぞ、ちゃんとできなきゃお前は悪人(=社会から排除されるべきもの)」なんて言われたら関わる時に億劫にもなるし距離最初から置きたくもなるし、萌え化や人物の性格のキャラ要素化しなければ安心して話すこともできなくなりますよね

「こういうことは失礼らしいから日本人はだめだ」の脅しのおかげでどれだけの差別が助長されたかしれません 異文化交流の第一歩にまず「対等に接し合う」が必要なのに、他人を聖域化して腫れ物のようにすることが「大事にすること」だと思いこんで、正しい人種になろうとする それは理解から一番遠い
『「私も国や文化を持っている、相手のその部分の違いが気になる」というのと「異文化?なんか萌えられるとこあるかな」と思いながら話を聞く これには根本的な違いがあると思うけどどうでしょう?』最初のこ
前者は自分と相手を同じ土俵に置いて対等に接していると私は感じます。自分の興味や得の為にもっと情報を出してほしい、という気持ちがあっても、「その情報をだしているのは独りの人間である」という敬意を持ってそう接していると感じる
後者は「自分が興味あるかないか」 「自分の得」それだけを見ている だから相手に話を聞きたくても「私の好きな情報を出して!」の要求だけをしてるように感じられる 相手は人間なんだから、話を聞きたいなら相手を対等な人間として扱う敬意を持ってほしいんだよな でないと使われてる気になる

「私は」、ですが、敬意を表すやりかたが私にとって間違ってても良い 相手が敬意を表そうとしている、という一端が見えればね そういう情報をいろんなひとにぽんぽん言いたい気持ちのある人は不快に感じないかもしれないけど、話をするっていうのは時間がいるし、そんな慈善事業をする気はないです。
私はとりあえず「敬意を持とうとしてる気持ち」というものくらいはギブアンドテイクの対価に求めている方です 損は好きではないですし会話も対人も何もかもギブアンドテイクがあるものではないのかと

異文化を「理解」し敬意を払う…それは、相手の得とこちらの得を両立させ、双方に利益を生み出す そんなどんな人間関係でも当然である「ギブアンドテイク」を、お互いきちんとしようとする事 そういう事ではないんでしょうかね
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2019/10/01 09:04 | cross-cultural

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